血液型性格診断が当たる理由


Zephyr様の日記に影響されまして、ちょっと考えてたことを書いてみます。 



A型は真面目で几帳面。 
B型は発想豊かでちょっとルーズ。 

…よくある血液型性格診断ですね。 


諸外国では、血液型といえば輸血や救急医療が一番に連想されるそうですが、日本ではまず思いつくのが「性格診断」です。初対面のときに血液型の話が出て、さらに性格や相性の話題に流れていくのは王道パターンの一つでしょう。 

一方で、最近は、血液型性格診断は迷信で、そんなものを今どき信じているなんて…という言い方をされることが多くなってきました。 
でも、血液型性格診断の話題になったとき、「あぁ、確かにこの人はB型っぽいなぁ」とか、腑に落ちる経験をした人は多いのではないでしょうか。 
たとえば、私の職場では、興味深いことに、「正確さを一番に期するセクション」は圧倒的にA型が多く、「人付き合いがもっとも大事なセクション」は圧倒的にB型が多いという調査結果があります。 


血液型と性格の関係。本当に「迷信」なんでしょうか。 


血液型、つまり血液中のコロイド物質の微少な違いが、脳内で器官に作用して、性格の発現という脳の高次的作用に影響を与えるかどうか、というと、これは絶望的と言わざるを得ません。
勿論、脳の機能がすべて解明されているわけではないし、もしかしたらそのような「奇跡の」構造があるのかも知れませんが、今のところは、脳の構造から考えても、血液型が直接に性格を左右することは難しい。


ただ、本当に血液型と性格が無関係であるなら、ここまで血液型性格診断が一般に普及することはなかったでしょうし、あったとしても「星座占い」に近い、科学とは別の超自然的なもの(占星術などのような…)になっていたのではないかと思います。
血液型性格診断は、なぜ説得力をもって一般に受け入れられてきたのか?


「血液型ステレオタイプによる予言の自己成就現象」という論文が提出されたことがあります(1992, 坂元章ら)。これは、かいつまんで言えば、「血液型が×型であるなら、その人の性格は〜〜だ」という「常識」を刷り込まれた人は、そのような性格であるように振る舞うようになる、という理論です。
そして、そのように振る舞う人が増えれば、血液型性格診断の的中率が高まり、その内容がさらに「常識」となっていく、という正のフィードバックが掛かることによって、今日の血液型性格診断が成立したものと考えられます*1


たとえば、あなたに向かって「私はA型なんです」と言っている人を想像してみてください。
どういう人物像が浮かんできますか?
たとえば、七三分けで黒縁メガネで背広を着てる人が浮かんでくるかも知れません(私の場合)。
それは極端な例にしても、A型の人というのはこういう人だ、というイメージが、何かしら湧いてくると思います。
では、「私はR型なんです」と言う人が想像できますか?
もし、A型とR型で、「想像可能性」に大きな差が出たなら、あなたの中にはA型の人間に対する血液型ステレオタイプが存在すると言えそうです。


正のフィードバックのもう一つの構成要素として、A・B・O・ABという文字形状の視覚的・聴覚的な効果も無視できない可能性があります。
「A」は、直線だけで構成され、音声も「エー」と清音で、「実直」「潔癖」というイメージを補強します。
「B」は、曲線と角をあわせ持ち、音声は「ビー」という濁音です。「清濁併せ持つ度量」「強さ」を感じさせます。
「O」は、豊満な曲線に満たされ、「包容力」「優しさ」などをイメージさせ、「AB」は「相反するものを内包する度量の広さ」「自己矛盾」など、やや揺れがちな印象を受けます。
これらのイメージと、一般に流布されている性格診断の内容が(偶然か必然かは別にして)一致していたことも、血液型性格診断が一般化していけた一因はないでしょうか。


血液型は、人間の性格に直接影響を与えることはおそらくできません。
しかし、「社会」や「常識」というものを仲立ちにして、間接的に影響を与えることができてしまうかも知れないのです。







…ここまで読んで、私がA型だと思った人。






当たり。



*1:もちろん、血液型性格診断の正のフィードバックは、最初に正方向への動きがなければ生じません。(誰かが言い出さなければ、そもそも誰も信じない。)血液型性格診断については、戦前にすでにそれに関する論文が提出されており、また、1970年代に一般に向けて性格診断書が刊行されているので、それが源流とみる考えが多いようです。参考:Wikipedia:血液型性格分類